my blog my life♪

自分の過去のことや好きなこと、日常で思ったことetc…あらゆることを私目線で語っちゃいます(*'▽'*)

私の30年史⑴✍️☆幼少期〜小学校まで☆

こんにちは。マイクラです。

今回は、これまでの私自身の歩みについて書こうと思います🍀

私、マイクラは今年で30歳になりました。

この30年生きてきて楽しいこともありましたが、辛い事もたっくさん乗り越えてきて今に至ります。

幼少期、幼稚園や学校、そして大人になってアルバイトや職場に入っても辛いことが起こっていたし、家庭でも色々ありました。。。

そんな私の今まで歩んできた30年を、記録という意味でもこのブログになるべく残しておきたいと思い、書くことを決めました💡

覚えてる出来事だけでも結構あって文が多くなりそうなので、30年の歴史を3つに分けて書いていこうと思います。(今回は、幼少期から小学生の頃までの出来事です。)

ぜひ、私、マイクラの人生を知りたい方は、最後まで読んでくれると嬉しいです😂

 

それでは、私の30年史。スタートです!!

①幼少期の私。

・30年前の5月に生まれました。生まれたばかりの頃は覚えてないですが、後に母から聞いたのは、赤ちゃんの頃の私は、集まっていた親戚の人に次々抱っこされると大泣きしていたが、母親が抱っこするとすぐ泣き止んでいたとのことでした。

・性格→人見知りが激しい。内気な性格。外で誰かに会うと必ず母親の後ろに隠れてしまう程の恥ずかしがり屋。母親っ子。

・近所のお友達と遊ぶ事も多かったが、からかわれることが多く、お友達から冗談で「いやだ」「もうマイクラちゃんと遊ばなーい」等言われるとすぐ困った顔をしてしまい、いつも泣いて母親のところに行ってた。

→当時の私は、なかなかお友達とうまく遊べなくてよく悩んでいました。親にもそのことで言われた事もあり、それを聞いて根に持っていました…

 

②幼稚園での私

・友達は何人かはいたが、おとなしい性格だったのでからかわれることもしばしば。同じ幼稚園にいたA子ちゃんという子には特にひどくいじめられていました。

♢A子ちゃんとのエピソード

・年中の時は違うクラスだったが、年長では同じクラスだった。年長の時、A子ちゃんから強く当たってきたり、ひどいいじめを受けてきた。

普段の幼稚園生活でも、「あっち行けよ!」「嫌いなんだよ!」と言ってきたり、足を強く踏んでくる事もあった。

・ある時、A子ちゃんから本気でほっぺたを叩かれて赤く腫れてしまったことがあった。家に帰ってくると、母もびっくりしていた。その夜に、幼稚園の担任の先生が、A子ちゃん・A子ちゃんの保護者の代わりに謝りに来た。

「マイクラちゃん、ごめんね」と先生は言ってくれたが、私はただただ顔が赤くなって先生に顔出すのも恥ずかしかった。なぜなら、A子ちゃんにやられてしまったことで、先生にも家族にも心配かけてしまったという気持ちと、「私がやられてしまう子だ」と思われるのが嫌だったから。

・年長のお別れ会の時、園のホールのステージに上がって歌を歌う時に背の順に並んでいて、私は1番上の1番右端に居て、その隣がA子ちゃんだった。「みんなともだち」という歌を歌う際に隣同士で腕を組んで歌う際、A子ちゃんは私の腕を無理やりぐっと掴んで後ろで組むと、私の腕をぎゅーっと手でつねってきた。(後ろで腕を組んでてステージからは見えないので、つねられてるのは誰も気づかない。)

腕が痛くて腕を払おうとすると、「ちゃんと掴むんだよ!」とA子ちゃんに小声で強い口調で言われてまた腕を組んでくる。私はステージでは泣きそうになりながらもぐっと我慢しながら歌った。そんな中でお別れ会が終わり、私は終わった後も平然としたふりをして、親や先生にAちゃんに腕をつねられたことは言えずにいた。なぜなら、当日せっかくの幼稚園最後の日で私が泣く姿を親や先生に見せたくないという気持ちがあったからだ。

なぜ、こんなにA子ちゃんから嫌われていたのかは当時全く分からなかった。ただ「なんで?」とずっと思ってた。小学校ではA子ちゃんとは学区が違ったため別々になった。ただ、中学校でまた同じ学校になる…

 

③小学校での私

小学生でもからかわれることが多く、同級生からは少し浮いてる存在だった。

・同じクラスの男子にからかわれることが多かった。写ってる私の写真を見て、「なんだよこれ!気持ち悪ーい!」と言ってきたり、写真で私がとったポーズをよく真似されたりしていた。私が何度も「やめてよ!」と言ってもやめることはなかった。

また、1つ上の学年の男子にも突然帰り道に私が背負ってたランドセルを思いきり蹴ってきた事もあった。泣いて帰ってきたのを覚えてる。

・小1の夏の行事での出来事。

校庭で全学年が参加する水かけ祭りがあった。その終わりの会で、各学年の代表1人が朝礼代の上に立って、感想を言う担当に私がなった。感想を言う版番が来て、いざマイクが渡されると恥ずかしくなり、下を向いてしまい言えなくなってしまう。みんながざわざわし出して、更に顔真っ赤になって立ち尽くしてしまう。しばらくしてから担任の先生が前に出てきて、私をフォローしにきてくれてようやくマイクで恥ずかしなりながらも話す。→みんなの視線も気になっていた。人前で話すのが苦手なんだと実感した。

・姉が入ってるのを見て、学校内の吹奏楽部に興味を持ち小5の時に入団する。楽器吹くのは楽しかったが、仲間外されたり、部の中でもあまり仲良い子がいなかったので浮いてる存在だった。見かけだけ何となく輪に入ってる感じだったが、無視されることが多く、私は居づらさをすごく感じていた。

 

※幼少期〜小学校までの家庭での私

・外では大人しい私でしたが、家では明るく元気でいることが多く、内弁慶な性格で、1人で家の中で遊ぶ方が好きでした。

テレビでNHKの教育番組(おかあさんといっしょ等)をよく見ていたり、ディズニーのビデオが沢山揃えてあったのでそれを見るのも好きでした。又、家にあったラジカセやお出かけする車の中ででよく音楽が流れてたのもあって、音楽を聴くのも好きでした。

・小1の夏、脳の病気で父が入院。夏休み中は母が病院に毎日通い父の看病をする為、姉と私は母方の叔母や祖母に預けられる。遊園地や海など旅行に色々連れて行ってくれたが、私は母と離れるのが寂しくて泣いてることが多かった。

時々父の病院へ連れて行ってくれて母に会えるとのが嬉しかったが、また祖母の家に戻る時も泣いていた。→脳の手術は大掛かり。生きるか死ぬかの手術だといわれていたが成功した。

・家庭の問題で悪い噂が近所で流れることもあった。家に毎日のように無言の電話が来たり(母が対応する)、又父の会社に、私たちの家に対しての文句の手紙がきた事もある←当時、母から聞いた。

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以上が、幼少期から小学生に頃までの私の歩みでした。

思い出すだけでもこんなにありました💦💦

結構長くなってしまいました!読みにくかったらすいませんm(_ _)m

ですが、これでは終わらず、中学生以降もまだまだあるんです💡

次回は中学生〜高校生(できれば大学生)までを書きたいと思います✏️

もし興味があったら次回もよろしくお願いします🙇‍♀️